キリリク10000 「その気持ちを何と名付けよう」
Written by.綾瀬 2005年10月22日(日)10:15


 悟浄が物を捨てない人だと言うのは知っている。一緒に暮らし始めた時、分別ゴミの収集日を知らなかったのに呆れたものだったが、実際のところ、この家から出るゴミの量が元々少ないのだ。それは彼がほとんど家におらず、家には寝に戻るだけ、ほとんどの生活を町の酒場や女の部屋やそういう場所で済ませているからだという理由ももちろん有ったのだろうが、それにしても悟浄は物を捨てるのを嫌った。なるたけ身の回りの物を増やしたくない自分とはそのことで何度も衝突したが、それでも悟浄は捨てなかった。だから、あまり開けない台所のシンクの上の棚に、僕が来てから一度も使っていないマグカップが有ることも良く知っていた。なのに、思わず手が滑った。
 ガシャリと大きな音を立てて床に散らばったそのかけらを集めようとしたら、悟浄が飛んできて止めた。
 「危ないから。俺がやる」
 そんな新婚数ヶ月の慣れないお嫁さんじゃあるまいし、こんな物で怪我なんかしませんよと、言おうとしてやめた。もしかしたら、僕に触らせたくない、とか。思わずそんな考えが浮かぶ。誰も使わないカップをけして捨てようとしないのは、彼の中で、物にはすべて思い出が宿っているからにほかならない。このカップは悟浄の過去で、どんな風に使われたんだろう。思い出の彼女にでも貰ったのか、それとも数ヶ月前に訪れた何とか言う悟浄の前のルームメイトが使っていたのか。
 「…っ!」
 言わんこっちゃない。手をさしのべた本人が怪我をしてどうします。ぷくりと膨らむ指先の赤い血を、手を伸ばしてとらえ、口に含んだ。それは少し苦く、指先は温かかった。
 この腕の温度を知っているのは自分だけだと、そう思う、それは“願い”に近い想いかもしれない。手のひらに伝わってくる悟浄の肌の暑さを感じながら、これだけはけして離すまいと、掴んだ腕に力を入れる。

 恋しい、苦しい、熱い、苦い、寂しい、痛い、愛しい。
 この想いに名をつけるとしたら、一体なんと呼ぶのが相応しいだろう。



・ 書きビトコメント ・

 キリリクの10000、お題は「切ない」…って、どうして身内がリクエストしてきますか部長
 展開がなにやらチープでありがちですが、そこは1日で書いたということで許してください; 私の癖で、お題につまると辞書を引く、というのがありまして。今回も例に漏れず、意外と広い語意があったので、日本語ってすごいな素敵だなと思いながら、全部入れ込んでみようと目論みました。…入ってるといいのですが。

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