「墓場行」
Written by.綾瀬 2004年04月01日(木)02:50
いきなり家へ駆け込んで来た悟浄が声を弾ませて言った。 「八戒、行くぞ!」 一体何事ですかと反論する間も与えずそのままバタバタと台所へ駆け込むと、何やらをかき集めてまたすぐ飛び出し、楽しそうに腕をつかんで再び言う。 「ほら、一緒に行くぞ。墓場まで」 台所でかき集めたものはありったけの種類の酒と、それを入れる器が2つ。確かあったはずだと流しの下から掘り出してきた竹でできた器は、八戒には初めて見る代物だった。悟浄が物に愛着を持ってしまうタイプだというのは僅かな同居の時間でも充分に知れたことで、物が増えるのを嫌がる八戒の意見も聞かず、密かに色々なものを棚にしまいこんでいるのも知っている。この器も、この出番を逃したら一生使うことはなかっただろうに、ここでこうして日の目を見てしまったからには「だから言ったろ、ぜってー役に立つって」と大いばりされてしまうことは自明、八戒は決してそれには触れないでおこうと心に決めていた。 「で。夜中にこんな所まで逃避行、というのも又、随分と色気に欠けますね」 結局、広がる墓地を背景に男二人、桜の木に凭れながら酒を酌み交わす羽目になっている。 「背景は気にすんなって。酒のめ、ほら、酒」 墓場の隅に一本だけ植えられた桜の大木。こんな場所だからこそ桜を独り占めできるってもんよ、一度やってみたかったんだって、誰にも邪魔されずに夜桜の下で酒ってのをさ、と、さも宝物を見つけたかのように悟浄は語る。たしかに、出がけに慌てて羽織っただけの薄手のコートでも困ることのない心地よい気温に、桜は満開とはいかないまでも、枝先にまだつぼみが残る程度の九分咲きの花々は逆に、少々強い春の風にも負けることなく美しさを誇っている。雰囲気の良くない背景も手伝って他に人も見当たらず、絶景と言えば、確かに絶景。 「ほら次、これも合うね、夜桜に」 やっぱり夜桜には竹の器が粋だよね、などと言いながら、既にほんのり頬を染める悟浄は、一体何種類持ち出したのだろうかという酒を次々に器に注いでは楽しげに飲み比べている。八戒としては、ただ流されるままに夜の桜を見ながら酒を飲むのもいささか悔しく、少しばかり疑問を呈することにした。 「確かに綺麗かもしれません。でも、いくつか伺いたい点がありますね」 「なに? 言ってみ?」 また新しい酒を注ぎながら悟浄は、どんな質問が来ようと即答してみようとでも言うような不敵な笑みを返してきた。それなら、こちらも真剣に。 「第一に。たしかに立派な木ではありますけど、これ一本だけというのは、花見と呼ぶにはいささか寂しくはありませんか?」 「いーや、これくらいがちょうどいいのよ、腹八分目っつの? 何事もね、手に少し足りないくらいが一番幸せなのよ、これ世界の真理ね」 たった一本の桜は、少し足りないという程度じゃないと思いますけど。しかし悟浄があまりに言い切るので、八戒はそれ以上言うのを止めて次へ進む。 「第二に。さっきから貴方酒を飲むばかりで、それって果たして“花見”と言えますか?」 「何いってんの。桜の下で酒飲まないなんてそんな、桜に申し訳ない」 桜に、って。どういう論理ですかそれは。 まるで答えになっていないはずなのだけれど、筋の通っていないものに筋を通して言葉を返すのもまた難しいもので、残念ながら切り上げざるを得ない。次へ進む。 「第三に。貴方がご満足なのは分かりますけど、僕がここにいる必要をまるで感じないんですけど」 「それこそ愚問。こんな面白いこと、誰かと楽しまないなんてそんな、八戒に申し訳ない」 まただ。さっきから悟浄の言っていることはずっとおかしい。 でも本当に、悟浄が本当に楽しそうだから、きっとこれには何か意味があるに違いない、ここでこうして二人で夜桜を見て、揃いの器で酒を飲んでいる理由が。 そう考えて必死で出した結論がこれだ。 「もしかして…誘ってるんですか、悟浄?」 「……まさか」 軽く否定された。それでも悟浄は、一体何がそんなに楽しいのだろうと言うような笑顔でまた酒をすすめてくる。 「ほら、八戒ももっと酔えって」 そう言う悟浄があまりに幸せそうだから。だから八戒は考える。もしかしてこれが、世界の真理とやら言うやつなのだろうか。手のひらにちょっとだけ足りないくらいという、その。 夜桜の下で器にまた新しい種類の酒を注がれながら、八戒は呆れるように一瞬だけ下を向いて、あともう一つあったはずの質問を心の中で唱える。 第四に。俺と一緒に墓場まで、なんて。プロポーズみたいでおかしいですよ、それ。 悔しいからその言葉は、竹の器の酒とともにそっと飲み下すことにしよう。 ・ 書きビトコメント ・ せっかくの「さくら」というお題なのに、なんでこんなタイトル付けるんだろう自分。多分「桜の樹の下には〜」という有名なフレーズが影響してるんでしょうけどね。 また拾ったネタが入れ込んであります。「できれば竹の器で」も「桜に申し訳ない」も職場の某さんのセリフです。私自身はあまり酒を飲まないもんで、酒飲みさんのその意見が面白くって、つい使ってしまいました。でも、良いセリフですよね「桜に申し訳ない」 |